歴史に登場する大山崎を紐解く

歴史深いまち 大山崎

歴史のある大山崎は、いろいろな時代・場所で描かれ、記録されてきました。

信貴山縁起絵巻

平安後期に描かれた日本絵画を代表する傑作の一つで、国宝でもある。

大和の信貴山の修行僧・命蓮に関する奇跡物語を、大和絵固有の流暢な線を駆使し、人物の表情や姿を全三巻にわたって躍動的に描いている。

大山崎に関連があるのは第一巻。空を飛ぶ鉢が川岸の長者の米倉を信貴山頂に運んだが、命蓮の法力で米俵だけは長者の屋敷に戻ったという話だ。 この有名な飛倉の場面で、右下に搾油の道具であるしめ木を見ることができ、当時の油作りの様子がうかがえる。

絵巻であり、文字は記されていないが、山崎長者を描いていると考えられるため、この巻は「山崎長者の巻」あるいは 「飛倉の巻」と呼ばれている。こんなに有名な絵巻のなかにも、大山崎の歴史を垣間見ることができるのだ。貴重な史料だ。

土佐日記

学校の古典の授業でも取り上げられることの多い作品だ。

この日記は平安時代に紀貫之によって書かれたもの。 当時、日記は漢文で男性によって書かれるものだったが、土佐日記は女性の筆で書かれた形をとっている。つまり、仮名でつづられているのだ。

日記の内容はというと、足かけ五年の土佐守の任を終えた貫之が、土佐から京の都へ帰るまでの様子を 日を追って記した旅日記。歌を交えながら、簡素・軽妙な文章でつづられている。

高知から京都というと、今でこそ数時間で行ける行程だが、当時は海賊におびえ、天候に悩まされながらの旅だった。 土佐国の国府を出発したのが承平4年の12月21日、海路を難波まで航海し、さらに淀川を上り、翌年の2月15日 ようやく山崎の津へ降り立った。

貫之は、津へつく間際に船から見た山崎橋、八幡宮、相応寺など山崎周辺の様子を日記のなかに記している。 当時の山崎津界隈は交通の要衝の地であり、都市的なにぎわいを見せていたといわれている。

現在は残っていない建造物を含めて、当時を知ることのできる貴重な史料だ。

明月記

新古今和歌集・百人一首の編者として知られる藤原定家の日記で国宝に指定されている。政治的に出世の立場が望めなかった定家は、「日記の家」として後世に名を残すために記録し続けた。

藤原定家は、後鳥羽院に伺候して、大山崎・水無瀬で少なくとも2度、雨漏りする屋敷で宿泊している。「荒屋」に泊まっていると、妻子を捨て、家を離れて、後鳥羽院に伺候している己が悲しくなった、「雨が寝所に漏れ」て、さらにもの悲しいと愚痴っている。また、白拍子を一晩預かるよう命令があったが、定家は同じ宿に泊まるのが嫌だったので自分は「小宅」を借りた。当時、白拍子は舞などの芸能活動をするが、一方で売春もやっていた。ところが自分が借りた「小宅」がひどい「荒屋」なので夜雨漏りがして「計略を失した」と悲しんでいる。

また西国街道沿いの「山崎油売小屋」の宿泊では「広く極まれりをもって悦と為す」と記している。すなわち、「油売りの小屋は意外と広い」と喜んでいる。

また『明月記』は、4月3日の日使頭祭(離宮八幡宮の第一の祭礼)と、4月8日(旧暦)の天神八王子社の祭礼(現在の5月5日(新暦)に神輿を担ぐ酒解神社の祭礼)という二つの大山崎の祭礼を記述する。現在も行なわれている大山崎の祭礼が、ともに鎌倉時代にまで遡ることがわかる点で、きわめて貴重である。

近世文学

江戸時代に庶民の熱狂的な支持を得た歌舞伎、そのもっとも人気の高い演目である「仮名手本忠臣蔵」にも山崎は登場する。

仕事をさぼって恋人のおかると会っていたために主君の刀傷事件に立ち会えなかった勘平は、おかるの実家である山崎へ駆け落ちする。山崎の街道を舞台にして、おかるは、勘平が主君の敵討ちに参加できるように祇園に身売りをする。一方、勘平はおかるの父をイノシシと間違って撃ち殺したと思い込んで切腹をしてしまう。このように二人の思いがすれ違い悲しい結果を招く話が展開される。

そのほかにも「山崎与次兵衛寿の門松」という世話物をはじめとした上方文化の代表者近松門左衛門の作品にも山崎はたびたび用いられ、また、「西鶴織留」など井原西鶴の作品にも山崎が登場する。山崎は、京、大坂からほど遠く、ほど近い場所として文芸の題材に利用されたのであった。

離宮八幡宮文書

中世油座の独占権を得て栄えた離宮八幡宮に関する文書が約300通もまとまって残っている大変めずらしい文書。

最古の記録である1222年「美濃国司下文」では、山崎の油座は鎌倉初期の時点で幕府の公認のもとで関料免除の特権を得て美濃のあたりまで活動を広げていたことがわかる。

織田信長が、一般の兵隊による山崎における略奪や放火を行わないことを約束した禁制があったり、家康が離宮八幡宮に対して領土を保障したことを表す文書など、時の権力との関わりを記す文書も残っており、大変貴重な史料である。

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更新日:2017年03月23日