HOME > 対談 齋藤 優氏 + 真鍋 宗平 大山崎町が目指すべき Talk about Oyamazaki Town
対談 株式会社トーセ取締役会長・株式会社東亜セイコー取締役会長 齋藤 優氏 + 大山崎町長 真鍋 宗平


大山崎町が目指すべき「まちの姿」とは
Talk about Oyamazaki Town
 


これまでに積み重ねてきた町の発展の歴史の中に
ヒントが隠れていると思うんですよ。


真鍋 宗平
(まなべ そうへい)
昭和16年10月12日香川県高松市で生まれる。
京都市立美術大学(現在は京都市立芸術大学)彫刻科専攻。
真鍋宗平地域デザイン研究所主宰。平成18年12月5日大山崎
町長に就任。趣味は読書と映画鑑賞。



これからはソフトウフェア産業を大いに活用した
まちづくりをしていくのも一つの考えですね。

齋藤 優
<本名 豊>(さいとう ゆたか)
昭和3年8月3日生まれ。
立命館大学専門部工学科卒業後、 昭和27年東亜セイコーを創業。
電圧自動安定装置を発明する。昭和54年には株式会社トーセを設立。
現在は取締役会長として活躍中。趣味は航空機操縦。
 
町制施行以来40年間の大山崎町の発展を振り返る
   
齋藤    町制施行40周年、おめでとうございます。
   
真鍋    ありがとうございます。今日はお忙しいところ、ようこそお越しくださいました。
   
齋藤    大山崎はその昔、油売り商人が活躍した町として知られています。彼らが天秤をかついで歩く姿が描かれた当時の絵からも、その繁栄ぶりが窺えますね。
  そんな町の賑わいは、第二次世界大戦前後まで続いていたと思いますよ。西国街道沿いには宿屋やお茶屋さんが軒を並べ、昔ながらの屋号を掲げて繁盛していたように記憶しています。天王山と淀川に挟まれた細長い地形の関係で、大阪と京都を結ぶ道は、この辺りでは大山崎を通るこの西国街道しかなかったですよね。このことも、古来の繁栄を長く維持してこれた理由の一つだと思いますね。
   
真鍋    国道171号線や新幹線、名神高速道路という現在の交通網ができ上がる以前のことですね。
   
齋藤    戦後間もない頃に村役場を訪問した時のことも、昨日のことのように鮮明に覚えています。
  当時は、川㟢末五郎さんという方が村長さんでしてね。役場の職員さんも、せいぜい十数人くらいでした。人口も少ない時代だったからでしょう。しかし、近年では人口も増え、地域の仕事をなんでもかんでも役場へ持って行こうという風潮になって来たような気がします。昔は、誰もが自分たちでできることは自分たちでやったものですよ。
  大山崎や円明寺、下植野といったそれぞれの地区では、区長さんを中心に皆で力を合わせて地域の問題に取組んでいましたね。それぞれの地域の運営が、うまく成り立っていたように思います。
   
これからのまちづくりにおける課題とは
   
真鍋    大規模な住宅の造成によって人口が増え、町制を施行したものの、それ以後の交通網の発達は、ある意味では町にとって地域的なアンバランスを生み出しました。
  大山崎町はハート型をした町です。大規模工場が広がった国道の東側、多くの観光資源が散在する山手側。一方で、下植野地域ではガラッと状況が異なる。町の様子を改めて絵に描いてみると、そういうことが非常によく分かるんですよ。
  この40年間で、町の産業構造は大きく変わってきました。昭和42年に町制を施行した当時に描いていたビジョンは、ここへ来て大きな転換を迫られていると言えるでしょうね。
  このような中、大山崎町の現在の課題の一つは道路づくりです。大きな団地がある地域では、立派な道路が整備されて自動車が走りぬける。一方で、古くからの集落の中には、車一台がなんとか通れるという狭い道がまだ残っていて、歩行者が自動車と道を譲り合う光景も見られます。でも、そういう道の方が交通事故もほとんど起こらないんです。みんな気をつけて通るんでしょうね。
  これは、古くから延々と守られてきた地域性というものは、簡単には新しいものに移行できないということの一例なんですね。
   
齋藤   経済面から言えば、商工業者をはじめとする地元の経済関係者は、やはりメリットの有無というものを最優先に考えます。村から町になったものの、商工業や観光の分野での振興を考えると、土地がないなどの問題でどうしても限界がある。ハード面での発展は、これ以上あまり望めないということが大きな問題となっています。
  それと、人間は、「楽をしたい」という思いが根本にあるからこそ、立派な建物を建設し、便利な機械を発明し、快適に走れる道路を作ってこれたんだと思います。何も無かった貧しい時代を知っていたからこそ、これだけ発達した社会を築き上げてこれたんだと思いますよ。
   
真鍋   土地がない、空間がない、これ以上の工場誘致は難しいという状況の中、これからどういう方向に最初の一歩を踏み出していくかが問題です。
  齋藤さんの会社は、これまで多大な実績を挙げてこられ、既に揺るがない評価を受けておられます。でもこれからは、今以上に情報やソフトウェアの分野が大きな力を持つことになると思っているんですよ。
  大山崎町は、京都府で最も面積が小さな町です。これほど小さな町に、年間40万から50万の人々が訪れるというような例は他ではあまり見られないですね。先ほど、交通のネットワークが大山崎町に地域的なアンバランスを生み出したと申しましたが、一方では、従来の幹線鉄道に加え、大山崎インタージャンクションや国道478号などは、素晴らしい交通の利便性をこの町にもたらしてくれました。今はまだそれを活かしきれていないんですよ。
  そう考えると、この大山崎町というのは可能性を秘めた面白い町なんです。そこで、なんとか凝り固まった考えを切り替えて、何か面白いことができないかなと思っているんですよ。
   
今後、どのように町の特性を活かしていくか
   
齋藤   日本は、自由な国です。世界には、様々なしきたりや伝統に縛られる国がありますが、日本にはありません。遊び心を持って、何でもやってみようじゃないですか。
  日本の漫画やゲームソフトは海外でも大変な人気を誇っています。大きな需要に、生産が追いつかないくらいなんですよ。
  土地がないという大きな制約がある中で、それこそ無限の可能性を持つソフト産業を大いに活用することで、今までとは別の次元での町の発展が考えられるのではないでしょうか。
  例えば、駅に降り立ったらそこに電子タッチパネルの町内案内板が設置されていて、指を触れるだけで、観光名所や公共施設などの情報を得ることができる。そんなことも、現在では可能になっています。「ソフトウェアタウン・オオヤマザキ」を目指してみるのも面白いかもしれませんね。
   
真鍋   私は、これまでに積み重ねてきた町の発展の歴史の中に、これから町が目指すべき方向を示すヒントが隠れていると思うんですよ。小さな町だからこそ、その良さを生かした何かができるはず。それをみんなが自由な発想を出し合って考えていくべきですね。
  そのためにも、次世代をしっかり支えながら、福祉や暮らしの基礎の上に、地域力の再生を図っていかなければなりません。
   
齋藤   メリットは自分で探し出すもの。何に対しても疑問を抱くことから、いろんなヒントが閃いてくるんじゃないですか。
   
真鍋   きょうは本当にありがとうございました。
 
 

  
 
当日は、株式会社東亜セイコーが自社でソフト開発をされた「T-actシステム」と「Ground FXシステム」が、対談会場である大山崎町役場に設置された。
スクリーンなどをタッチパネル化するT-actシステムは、案内板などにも応用できるという。また、床や壁に映された映像を人間の動きなどに合わせて自在に反応させるGround FXシステムは、遊戯施設以外にも有効な広告媒体にも活用できるという。最新のソフトウェアを駆使したこれらのシステムは、未来に向けたまちづくりの可能性を無限にイメージさせてくれる。

 
 
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