禁門の変と十七烈士の墓 編

禁門の変と十七烈士の墓 編(広報おおやまざき平成27年10月号掲載分)

天王山のぼるくん

淀川さん、今年の大河ドラマ「花燃ゆ」は見てる? 
吉田松陰(よしだしょういん)の妹・文(ふみ)の話だけど面白いね。

淀川先生

ドラマの主人公、文は、久坂玄瑞(くさかげんずい)の妻でもあるね。
久坂玄瑞は、幕末の長州藩の人で「禁門の変(きんもんのへん)」という戦で敗れてしまうんだ。
別名「蛤御門の変(はまぐりごもんのん)」とも呼ばれるこの事件は知っているかな?

のぼるくん

こないだ僕、蛤(はまぐり)のお吸い物をひっくり返しちゃって。
この、我が家の「蛤事件」のことかな。

よどがわせんせい

そんな訳ないでしょう、のぼる君。
幕末に、アメリカの黒船がやってきたことは知っているよね。
鎖国していた幕府は開国をせまられて、
結局、欧米の5カ国と不平等な条約を結ぶことになったんだ。

それを機に、日本が植民地化される危機を感じて、
「外国人を追い出して江戸幕府を倒そう」という「尊王攘夷(そんのうじょうい)」という考えを持った人たちと、
「開国して江戸幕府を守ろう」という考えを持った人たちによって、
国論が二分されることになるんだ。その流れから起こった事件だよ。

のぼるくん

どちらの考えが理にかなっていたのかな。

よどがわせんせい

禁門の変の前年には、会津(あいづ)・薩摩(さつま)藩の親幕(しんばく)派の人がクーデターを起こして、
京都から尊王攘夷の思想を持った貴族と長州藩の人を追い出したんだ。
その長州藩がもう一度京都で勢力を回復するために、
1864年( 元治(げんじ)元年)に蜂起した戦が、禁門の変だよ。

のぼるくん

たしか、長州勢が京都を攻めるためにやってきた時には、大山崎に滞在していたんだよね。

よどがわせんせい

い、意外と詳しいね、のぼる君。
久坂玄瑞も真木保臣(まきやすおみ)という人とともに多くの兵を連れて、
離宮八幡宮などに陣を敷いていたんだよ。
そして久坂玄瑞は京都で敗れたけれど、真木保臣たちは仲間の長州藩士を逃がして、
自分たちは天王山を死に場所と決めて追手を食い止めて、
一緒に退去してきた16人の兵士と、山上で自刃するんだ。
このとき、攘夷派狩りにやってきた会津藩士と新撰組の攻撃によって、
大山崎のたくさんの民家や寺社が焼失してしまったと伝えられているよ。

のぼるくん

たいへんな災難だったんだね。

よどがわせんせい

いま、天王山中腹には十七烈士の墓が建っていて、毎年10月21日には、
招魂祭が開かれているよ
(実際に自刃した日は7月21日ですが、近年は気候の良い秋に行なわれています)。

のぼるくん

今度、お墓にいってみようよ。ぼく、天王山登山は得意だからね。

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更新日:2017年03月23日