都の玄関口 編

都の玄関口 編(広報おおやまざき平成27年8月号掲載分)

天王山のぼるくん

毎日暑いね。こんど僕、山崎駅から電車で山に涼みに行くんだ。

僕、大好きなんだよ、山が。緑に心が洗われるっていうか。

淀川先生

青春しているね。

ところで、山崎駅はいつごろできたか知ってるかな?

のぼるくん

ずいぶんレトロな駅舎だからね。

昭和初期かな?

よどがわせんせい

そうだね。

現在のJR山崎駅の駅舎は昭和2年築で京都〜大阪間の現存する駅舎の中で一番古いんだよ。

国鉄山崎駅自体は明治9年に開業しているよ。

ただし「山崎駅」はね、はるかさかのぼって、9世紀の初めには成立していたんだ。

のぼるくん

ん?どういうこと?

よどがわせんせい

古代はね、馬が今の車や電車の役割を果たしていたんだけど、馬が配置されて宿泊所のある場所のことを駅(うまや)と呼んだんだ。

主要道路に沿って三十里(約16キロメートル)ごとに置かれており、ちょうど今の駅のようににぎやかな場所だったんだよ。 中でも山崎駅はね、二度も嵯峨天皇の一時的な宮殿として使用されたことがあって特別な場所だったんだ。

のぼるくん

嵯峨天皇は山崎の地を気に入って離宮を造ったんだよね。

よどがわせんせい

い、意外と詳しいね、のぼる君。

河陽離宮(かやりきゅう)だね。

861年には山城国が、ここを国府(現在の府庁に相当)として使用することを許されているよ。

当時は淀川に山崎橋という大きな橋がかけられて、このあたりは多くの人が行き交っていたんだよ。

のぼるくん

昔から交通の要衝だったんだね。

よどがわせんせい

当時の技術では大きな橋をかけるのは大変なことで、山崎橋はね、洪水で度々流されてしまうんだよ。

そして、11世紀後半には鳥羽の作り道が完成して、淀が都の入口になって山崎橋はいつしか消えてしまうんだ。

再び大山崎に淀川(桂川)を渡る橋ができたのは、国道478号の天王山大橋が開通した2004年で、おおよそ千年ぶりのことになるんだ。

また、大山崎には大規模な船着場である山崎津もあったんだよ。

のぼるくん

船着場?船でどこに行くのさ?

よどがわせんせい

昔はね、物や人を運ぶのに淀川の水運が活発に利用されていて、山崎津は平安京と瀬戸内海をつなぐ重要な中継点だったんだよ。

平安時代の紀貫之の土佐日記では、山崎津のあたりで5日間過ごしたという記録もあるよ。

それだけ大きな港だったことがうかがえるね。

今、マンション「ユニライフ」前に山崎津跡の表示があるよ。

このように、古代、大山崎は都の玄関口として大いに栄えていたんだよ。

のぼるくん

船か。いいなあ。山、や〜めた。海にするよ。

関連事項

大山崎町歴史資料館には、9世紀後半頃の河陽離宮とその周辺の復元模型を展示しています。

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更新日:2017年03月23日