乙訓地域分科会へ寄せられたご意見・ご提案

【平成20年度以前】

(1)私は合併に反対です。平成の大合併では性急な合併により弊害が生じていて、合併が地域発展の有効な手段にならないと言えます。近年の広域行政化に疑問を持ちます。メリット面ばかりでなく、デメリットの部分を詳しく説明すべきです。

(男性)

 

(2)合併賛成です。市議会議員削減や役所の体質改善のためにも合併したほうがよいと考えます。また、住民アンケート数が少なく、これくらいの数で判断できるとは思えません。

(60歳代女性:向日市)

 

(3)合併反対です。合併推進の理由として道路整備が挙げられていますが、合併することにより道路整備が進むという根拠がなく、改善できるとは思えません。また、合併しなくても2市1町が話し合って協力すれば広域的なまちづくりはできます。

 合併すれば役所の窓口が「現在の庁舎は住民サービス施設として使い道が広がる」と書かれています。窓口を減らして合理化することが合併の大きな理由であるのに、矛盾しているのでは?このような理由を挙げて合併を進めることに不信感を持ちます。

(30歳代男性:向日市)

 

(4)住民アンケート結果を見ました。議員へのアンケートはとらないのですか。議員が反対なら合併を議論する意味がありません。

(70歳代男性:向日市)

 

(5)私は向日市の北東部に住んでいます。京都市への編入を望む者が近所では多いように思います。特に、高齢者の市バス無料制度が魅力です。

(70歳代男性:向日市)

 

(6)アンケート結果を見ると、60歳代と70歳以上の年代で「合併すべきである」という意見が意外に多いと感じました。高齢になると保守的な考えの人が多くなり、もっと「合併すべきでない」という考えの人が多くなると思っていました。 調査結果6.の内訳で居住年数別のデータがあれば、将来の具体的な合併論議の参考になると思います。

 合併したらこうなるということやメリット・デメリットが見える形で提示されていたら、合併に「どちらともいえない」「わからない」と書く人が減り、「賛成」か「反対」を判断できたのではないかと思います。

(70歳代男性:向日市)

 

(7)2市1町合併について大賛成です。

(理由)

・小さい市や町なのに議員数が多く、乙訓地域内に選挙が3回もあるのは税金のムダ。合併して1回の選挙で、人口規模に応じた必要な議員数でよい。

・財政格差があり、2市1町で受ける行政サービスに地域差が生じる。

・保育所待機児童を解消するためにも、広域にして、広く住民ニーズに応えられるようになる。

・時代の流れで公務員の役職や事務の効率化がすすめられている。合併したほうが本当に必要な数の公務員が配置でき、公費のムダを解消できる。不必要な公務員はいらない。

・このままでは、2市1町のどこかが破綻する気がする。ぜひ、2市1町合併をすすめてください。

(30歳代女性:向日市)

 

(8)向日市・長岡京市・大山崎町が合併するのはナンセンス。それぞれ京都市と接しているわけだから、京北町のように京都市に編入合併すればよいと思います。京都市への編入合併には賛成ですが、2市1町でひとつの市になることは反対です。

(80歳代男性:長岡京市)

 

(9)あまりにも面積が小さすぎる。何らかのロスがあるのではないですか。

(70歳代男性:向日市)

 

(10)乙訓地域分科会だよりを読みました。向日市・長岡京市・大山崎町の比較記事で、公務員の人数、議員の人数が載っておりませんでした。税金を有効に使うためには、合併により公務員、議員の数を大幅に減らして小さな行政を行わなければなりません。早い合併で、「乙訓市」の実現を願います。

(匿名)

 

(11)もともと「乙訓」として同じ郡だったものが、なぜ三つに分かれたままなのか。「長岡京文化圏」として、まとまりのある地域として問えば、合併の必要性が見えてくると思います。

 私は分かれている理由を、経済の高度成長期に豊かな税収と一部政治家のエゴがあったとみています。狭い乙訓に多くの議会議員が必要なのか分かりません。あきれています。二つ目に道路交通行政の停滞を思います。三つ目に合併して公務員を減らして行政効率を高めるべきです。1日も早く乙訓市が生まれ、地域内の調和のある発展を祈念しています。

(男性:向日市)

 

(12)当初より住民の意思を聞かずに2市1町の合併を進めておられますが、2市1町の合併には反対です。向日市の一住民として、京都市に合併を希望します。

(匿名:向日市)

 

(13)効率よく市政を運営するために、合併に大賛成です。その上で職員、議員、施設の統合など、できる限り効率運用を望みます。生活に根ざした日本国、日本人、京都人、乙訓地域に住む人のための行政区でなければならないと考えています。

(70歳代男性:長岡京市)

 

(14)合併賛成です。詳しい数値は解りませんが、行政サービスの面で、経費の削減とサービスの統一を期待します。町の財政が苦しいだけでなく、町民も同じです。住民に目を向けた統一性のある行政を望みます。

(男性:大山崎町)

 

(15)今回の2市1町の合併を論じる場合、財政指数を見ても一長一短あり、合併しなければならない危機意識は遠く、合併を考える気運はまとまらないでしょう。まず、合併のためのコンセプト(概念)を確立し、思い切った改革を提示してから意見を問うべきでしょう。

(70代男性:長岡京市)

 

(16)分科会だよりは、内容が中立的で客観的であるため、住民が合併を考えるヒントになっていない。もっと具体的なメリットを住民に提示して、合併の話を進めてもらいたいです。

(男性:向日市)

 

(17)私はもともと乙訓合併賛成論者です。分科会だより第1号には、合併によるいちばんのメリットである議員定数3~4割を削減できるだろうことが、抜けているように思います。このような問題を論じ合うときは、乙訓在住の人で合併による利害が最も少ない人、かつ、常識のある人を選ぶべきではないでしょうか。

(男性:向日市)

 

(18)合併により広域化して公共施設がバラバラに遠ざかるなら、合併は反対です。私は前に京都市で暮らしていました。京都市に比べて向日市は、狭い地域に電車の駅が多く公共施設が近い点が気に入り、住みよい都市だと感じています。これからも向日市に、ずっと住み続けていきたいと思います。

(20歳代男性:向日市)

 

(19)合併するとどうなるか、2006年度当初予算一般会計で試算してみました。

 大山崎町=  46億6500万円(住民一人当たり:308,240円)

 長岡京市= 216億1710万円(住民一人当たり:275,921円)

 向日市 = 136億9700万円(住民一人当たり:249,131円)

乙訓地域の2市1町が合併すると、

 新たな市= 399億7910万円(住民一人当たり:269,259円)

となり、住民一人当たりからみると、長岡京市、大山崎町の住民にとっては旨味のない合併となります。

京都市への編入合併を行った場合、現状では、

 京都市 =6957億7380万円(住民一人当たり:473,085円)

であるため、合併後は、

 新京都市=7357億1710万円(住民一人当たり:454,399円)

となります。事業収入を加えた特別会計や歳出面もみないと実際的な財政を論じたことにはなりませんが、一つの視点には違いありません。

 乙訓地域の合併で小さくまとまるより、京都市への編入の道を選ぶことが財政面での効率化を進めることになります。乙訓地域での合併のメリットは少ないとすると、乙訓地域のみの合併に対しては反対せざるを得ないです。

(40歳代男性:大山崎町)

 

(20)合併については賛成です。ホームページ資料を見ると、平成18年4月1日現在での乙訓2市1町の合計人口は、14万8567人です。乙訓2市1町を京都市の一つの区として編入すると仮定すれば、人口規模では、伏見区、右京区、左京区、西京区に次ぐ規模で、京都市11区中5番目の水準です。また、面積では、右京区、左京区、北区、伏見区、西京区に次ぐ規模で、6番目の水準となります。 よって、京都市への編入合併も視野に入れた議論も期待しています。

(40歳代男性:大山崎町)

 

(21)昔は乙訓郡として一つの地域だったと聞いています。だからといって安直に合併していくのではなく、合併しなくてもやっていける方向を基本にしてほしい。合併に関する議論も大切ですが、長岡京市、向日市、大山崎町とそれぞれの特徴があるわけですから、合併しなくてもよい方法を考えてほしいです。

(30歳代男性:長岡京市)

 

(22)今までの合併議論がほとんどオープンになっていないと感じておりましたので、このようなホームページが開設されただけでも進歩あることです。今後は行政側から、合併のメリット・デメリットを提示していただいて、住民からどのように考えているかと議論が進むことを期待しています。現時点で小生は基本的に合併賛成派ですが、京都市乙訓区にするか乙訓市にするかはさておき、合併することにより、図書館の共同利用などのメリットを享受したいと思います。

(40歳代男性:大山崎町)

 

(23)市町村合併について

京都南部地域行政改革推進会議乙訓地域分科会から市町村合併に関する資料を受け取りましたので私の意見を述べさせていただきます。 

私は合併に大賛成です。今後10年、20年先の事を考えると合併によるスケールメリット(行政職員の削減、議員数の削減)、公共施設の共有化、有能な人材の登用により多くのメリットが市民に提供されるでしょう。大山崎町の財政状況を会社に例えると歳入(収入)はたかだか約49億円、それに対して職員(社員)183人、議員(役員)16人は非効率的です。町民が汗水たらした税金が人件費に食われてしまっている。他の2市に比べても経常収支比率が高すぎる。財政が縮小しているのなら人員削減、事務の徹底合理化を計るべきです。我々市民はリストラに会いながらも税金を払いつづけてきたのですから健全経営を目指すならば町政の抜本改革が必要です。国の構造改革のみならず地方の構造改革が必要です。公務員の身分保障と言った聖域も許容できないところまで来てしまっています。今こそ市町村合併のチャンスです。多くの市町村合併に関する資料で合併によるメリット、デメリットが述べられているが乙訓2市1町については当てはまるデメリットは見当たりません。

 行政が大きくなると住民の意見が反映されなくなるとか住民サービスが低下するのではないかという懸念があるが、小さい町だからといって今まで行政が当然やるべき事務的なサービス以外にこれと言って格別優れた住民サービスを実感した事もありませんし、住民の意見などが容易く反映された事もありません。何時も返って来る答えは予算が無いです。現在の小さな町では住民の意見が反映される余地が財政的にも、行政能力的にも何10年も発揮されてこなかったではないか。行政単位の大小ではないのです。

 この町に移り住んで30年来、立派な町役場が建っただけで生活環境が良くなったわけでも、都市が再生されたわけでもない。どう頑張っても中心部のない道路事情の悪い町では今後とも商業地域の発展は無理だろう。合併後には住宅ゾーン、観光ゾーン、1部工業ゾーンを充実させて、環境タウン(環境に配慮した町づくり)として再生してはどうか。向日市、長岡京市、大山崎町を繋ぐ市内幹線道路の完成と各町から171号線へのアクセスを充実させて他都市への移動を容易にすることが必要だ。

 長岡京市を中心として乙訓、西山文化圏を今後築いていってはどうか。京都市を中心とした東山文化とは異なった環境都市を西山の麓に創造することが21世紀に向けて子孫に対して私達に課せられた使命です。小さな町同士が自分達の歴史的背景を主張して15世紀規模の独立都市を目指しても所詮、人口減少などの社会現象、企業誘致の立地条件の限界、企業収益の減少による税収減などから縮小財政を乗りきることは不可能です。 

 合併特例債などを利用してもっと若者が集まれる都市再開発を長岡京市周辺で行い、京都市に流れている顧客を地域に引き戻し活気のある環境小都市を目指してはどうか。ヨーロッパでは人口15万都市でも非常に高い文化都市が構築されているのを見れば2市1町合併は適切な規模ではないでしょうか。

○生活圏の拡大

 市町村を取り巻く環境は正に資料に述べられている通り、日常生活圏の拡大は特に乙訓2市1町において著しいものがあります。鉄道、道路の整備、情報手段の進展は2市1町を一体化しています。阪急各駅(大山崎、長岡天神、東、西向日)、JR各駅(山崎、長岡京、向日町)と連続した町で2市1町を独立させる理由が何処にあるのだろうか。合併したとしても利便性に悪影響を与えるものは何もないはずです。山奥の広大な面積を有する交通の便の悪い市町村合併の場合と比較するべきではありません。地政学的にもすでに2市1町が存立する理由がないことは自明の事柄です。何しろ大山崎は歴史的に有名であってもウナギの寝床のようない狭い町の形態(中心部のない)では愛着の湧く都市形態になりきれないので、タウンとしての文化的要素を満足させる町が何10年たっても発展してこなかったし、今後とも無理だと思います。どうしても住民の顔は天王山より東に位置する長岡、京都に向いてしまいます。

 廃棄物処理、消防の広域的協力体制(地震対策も含めて)、浄水下水道処理などは益々広域的行政なくしては合理的な解決法を見出せない所まで来ているのではないでしょうか。最近の35%水道料金値上げと言う無策を見れば解るでしょう。

 公共施設に付いても然り、図書館、温水プールはこれからの老人社会で健康な生活を長く続けるには必要な施設であるが大山崎町にはその利用施設がない。いくら大山崎町の町長が替わっても財政的にも無理だろう。それなら市町村合併で相互利用すれば良いのではないでしょうか。

○地方分権の推進

 皆が待ち望んでいた権利であるから、その義務を果たすためにも早く2市1町合併を推進するべきです。ただ町長をはじめ、町議員諸氏のこの案件に対する顔が見えて来ない。恐らく自分達の保身から合併に対して積極的に動こうとしないのでしょう。積極的に合併推進して未来都市を築く政治家議員諸氏が現れても良さそうだがそれもない。緩やかな衰退の中では危機の認識が薄く合併のような積極的変革に対して都市住民の反応は鈍いのではないか。住民だけの発意を期待していては合併問題は推進出来ないのではないか。合併協議会の発足に向けて京都府南部地域行政改革推進会議乙訓地域分科会の積極的な活動と行政のリーダーシップが求められます。

 先ず町長はじめ町会議員諸氏全員に合併に対する意見書を提出させて、大山崎町広報に掲載し、住民と意見交換させてはどうか。

 市町村合併についてもっと大山崎町広報に情報を流して、市民の参画を求めてはどうか。どれくらいの人達から意見が寄せられているのか、どんな意見があるのか。

○少子・高齢化

 少子、高齢化に対する対策が小さい町では充分になされていない。人口増に対して行っている町の住宅政策はスプロール化を招き景観を損ないかねない。子ども、老人に対する交通環境は逆に悪くなっている。この町で安心して歩ける場所は円明寺団地内だけで、殆どの自動車道路には歩道がない。住宅は自動車道路に接して建築され交通安全上の問題が散見される。景観を損なうと共に老人など安心して散策できない。散策の途中で老人達が休憩できる背もたれ付きのベンチさえない。有ってもコンクリートの背もたれの無い冷たいベンチだ。これで人に優しい、老人を大切にする町と言えるだろうか

○まちづくりの課題

 立派な基本構想が作られ、多くの課題が述べられている。その理念は解るが大都会で行うマスタープランを小さい町にそっくりそのまま持って来ても空絵事に過ぎない。抽象的な美辞麗句が多く具体性に欠けている。予算が無いという行政担当がよくもそんなに欲張った構想と計画を立てたものだ。地形的特徴、地名、固有名詞などを用いた特徴ある具体的目標がない。結局何も出来ない事になるでしょう。旧街道の道路拡幅さえも10年経っても出来ないで来たではないか。

 大昔からある自然環境に依拠しているだけで、豊かな自然環境を作り出す積極的な取り組みが見られない。環境基本法もなければ、環境基本条例もなければ無節操な建設開発が町の全体を蝕んで行っている。

小さい町で全ての事をしようとするので結局なにもなされない。合併により共有できるものを共有すればもっと各町で特徴ある重点施策を実行できるのではないでしょうか。

(60歳代男性:大山崎町)

 

【平成21年度】

(1)乙訓地域分科会だよりVol.06、9ページ「歴史からみる乙訓の地」をみますと「異なる文化をもつ地域同士が合併する際、しばしばそれぞれの地域の文化や伝統が損なわれてしまうのではというデメリットが議論されます。乙訓地域の場合はどうなのでしょうか」として長岡京時代以降の乙訓地域の歴史が紹介されています。これを読んで思います。乙訓地域合併の問題は、ここでの指摘とは全く逆です。つまり、「歴史・文化的に一体的な乙訓地域(長岡京文化圏)が三つの行政区に分かれている不幸」を問題にすべきです。もし平安京(京都)が三つの行政区に分かれていたら市民(国民)は納得するでしょうか。長岡京文化圏の現状(三つの行政区)は、地域住民のみならず国民にとって本当に不幸なことです。不幸を解消して一つの行政区になれば、長岡京(地域)の保存、国民への紹介がしやすくなり、地域住民が居住・生活に誇りをもちます。こうなると文化・観光・交通行政等に新たな展開が、また、行政費の節約やサービス向上等が期待できます。なかでも「長岡京」を観光資源として生かすことによって地域は確実に活性化されると思います。長岡京「大極殿」等主要施設が存在する向日市が、過去のいきさつやしがらみにとらわれず、乙訓市実現に向けて積極的に行動するよう強く求めるものです。

(平成21年12月:70歳代男性:向日市)

 

(2)乙訓地域分科会だよりVol.06を拝読、当市もいよいよ市町村合併の決断の時が近付いているなと痛切に感じさせられました。向日市、長岡京市、大山崎町の合併問題については、早くからアンケート調査などで、住民の意見調査をされておられたことで関心を持っておりましたが、メリットとデメリットからは即断できない思いでありました。行政間でも自分たちの立場の主張や執着で、広域行政自体合併の気運は今一つであったと理解しております。しかし、今、われわれのおかれている立場は誠に深刻であることを知るべきでありましょう。景気の後退で、税収入がこれほど落ち込むことを誰が予測し得たでしょう。政権は交代し、地方分権化は一層の拍車がかかることが予測される中にあって、厳しい財政運営の時代に突入いたします。一方、行政機関が抱える住民の年齢構成は、少子・高齢化という社会保障費が増大する異常な状況にあります。今までの長岡京市は、財政運営が比較的うまく運営されてきていると機会あるごとに自負をしておられますが、20年度単年度決算では赤字の状態ではありませんか。住民に安心・安全を叫ばれても、財政に可能な持続性が見られない現状は誠に憂慮すべき問題と言えましょう。当市においては、行財政改革大綱、アクションプランなどを策定され、人件費削減には「定員管理」を事務には細かい「環境マネジメントマニュアル」を策定、実行するなど涙ぐましいご努力に敬服すら覚えます。これも財源不足を補う一助として頑張っておられるのでしょう。しかしこうした経費の削減は、職員の精神面にも大きな負担がかかり、年に数名の職員が「心の病」で休職に追い込まれていること自体、人事政策にも大きな欠陥が出ていると思われても仕方のないことであり、恥ずかしいことであります。住民ニーズの多様化、複雑化が対応にも難しくなっていることもありましょうが、住民の窓口を無造作に委託したり、嘱託採用者が現職なみの羽振りを利かし、若手のやる気を失わせる人間関係では、もはや仕事をする土壌すら失われていると言えましょう。これも財源不足と長い伝統につかっている役所の閉鎖的な体質がもたらすものではないかと推測いたします。「危機への対応力が求められる時代」「変革の時代は無限の可能性の時代」「前例主義は通用しない」のすばらしい言葉は、当市の立派な行財政改革の基本理念ではありませんか。歴史的にも一つの地域であった乙訓が、今は2市1町に区分はされてはおりますが、年々住宅は増え道路一つで他の行政になっているのも実状です。既に地区では「環境衛生」「福祉施設」「消防組合」は広域行政としての利点を発揮しております。「水道事業」も当然そうなることが望まれますが、なまじ当市が「地下水」に捉われておれば、イニシャティブもとれないのではないでしょうか。

広域行政対策特別委員会報告書を拝読いたしましたが、「合併の重要性は認めるが、議会としてよりよい自治体のあり方、よりよい行政施策の進め方を提言していく努力が求められる。」がまとめの言葉であります。合併問題が終局に及んでいる今、まだこんな結論しか言えないのは、委員会自身、全く合併を避けているからではないですか。何故?合併で議員数が減らされるから?委員長の党意に反するから?とにかく「わがまち意識」、個人の損得を考えての実現は不可能でしょう。住民を幸せに導くためにも、全職員の熱意と小田市長の決断力が求められます。合言葉は、「乙訓は一つ 新しい地区の創造へ!」中途半端な行政の行き詰まり、古い体質からの脱皮、合併は2市1町にとっても新しい地域行政として命をつなぐものと信じます。立ち上がってください。

 (平成21年12月:70歳代男性:長岡京市)

 

(3)乙訓地域(2市1町)の合併を早く進めてもらいたい。合併のメリット・デメリットを整理して問題を解決すべきだ。合併マニュフェストを作成し、やれること・やれないことを明確にし、問題を先送りしないで、毎日でも2市1町で会議を行い、合併に取り組むべきである。甲賀市は、半年で合併をまとめたと聞いている。先進事例(合併市及び合併をやめたところ)へどんどん行って勉強しなければならない。勉強不足である。2市1町でお互い吸収しなければならないことは吸収して、高めていく必要がある。

 にそと道路の完成が遅いのも、合併協議が遅いのと関係がある。合併をして大きな力となって、計画の早期終結を要望しないといけない。

(平成21年8月:男性:長岡京市)

 

(4)平成の大合併も半数の市町村が良きにつけ悪しきに付け合併を推進しました。ここ乙訓では南部地域行政改革推進会議が設置され、分科会便りが配られるようになって3年以上になっていますが法定会議も合併協議会も設立されていない。

 前町長時代に一番先輩市長ということで分科会の主管として旧庁舎に専任職員を配置して事業を行っていましたがそれも廃止され、それぞれの幹事会が各市町村で事務を引き継いでいますが実質、事業の推進はトーンダウンしている。

 合併の直接的な理由は将来の少子高齢化に備えて、行政のスリム化を行うことです。団塊の世代が一挙に増えてくればなおさらです。この2市1町の合併の規模は人口から言うと、京都北部の広域地の市町村の合併とはその密集度と言い、比べものになりません。この2市1町は今や一つの経済圏です。地政学的にも独立して行政を行う必要性はない。

 環境的にも片や西山に抱かれ、京都の母なる桂川を前面に配した地勢は未来の乙訓を考える時、規模と言い、環境と言い理想的な地形です。ドイツの世界的に有名なフライブルク市とも相通ずる所がある。

 もっと重要なことは、古に出来た幻の長岡京の都を考える時、向日町に始まる北苑、宮城、大極殿、朱雀大路、そして大山崎で終わる羅城門の都市構造(向日市埋蔵文化財センター作成)は今でも通用するのではないか。2市1町合併は行政のスリム化だけでなく、乙訓の都市作りに関して市民に夢を与えてくれると思う。各市長がまちまちに都市作りを行うからいつまで経っても、統一感のないゴチャゴチャした町で、住んでいても一つもすっきりしない。箱庭的都市には魅力がありません。ここがヨーロッパとの都市作りの違いである。

 それに私見であるが華美な商業主義に毒された東山文化に対し、もっと古の西山文化を再認識して京都に対抗するのは無理としても、広く日本中に喧伝して観光都市として、また環境都市として未来の子供たちに残していってあげることこそ、明日の京都を作っていくビジョンではなかろうか。言葉の理念だけでは都市は出来ない。

 2市1町の首長の党派や、過去のわだかまりやエゴに拘って、合併問題を市民の発意だけに頼っているといつまで経っても前進しない。文化と経済と環境を考慮して乙訓の都市としてのグランドデザインを考えていくには、どうしても行政の特に上位の行政のリーダーシップを必要とする。京都府として一肌脱いでもらい、2市1町をまとめてもらいたい。議員も、首長も自分のポストに執着していては夢のある未来は生まれない。50分の1の署名を集めて合併協議会結成の申請書を出すのはそんなに難しいことではない。ただ片思いではどうにも成らない。

ここ大山崎は秀吉の頃から、小椋干拓地問題で土地を収用され、近代に至っては東海道線、新幹線、阪急電車、国道171号線、名神高速そして現在、「にそと」により町内の大半がお上に収奪されてズタズタになっています。この状態で町は最善の経営努力をして改善につとめているが、所栓は魚や鳥の尻尾の先に当たる部分では都市としての魅力は将来ともありません。大山崎、長岡京市、向日市が一体(鳥、魚の形)となって都市の住み分けを行えば良い町が出来ると思う。

(平成21年4月:男性:大山崎町)

 

(5)乙訓地域(2市1町)を発展させていくためには合併は必要であり、できる限り早く進めることが良い。地域の核になる人材を募り、確実に合併を前進させる。合併には、以下のメリットがあると考える。

 1.各市長の吏員・首長・議員の省人化

 2.広域的な政策企画

 3.事業拠点の適正配置(介護施設など)

 4.住民サービスを現2市1町の中で最も効率的な方式に統合し、さらに改善を図る。

 5.人材の供給活用

 6.予算計画

(平成21年4月:男性:長岡京市)

 

【平成22年度】

(1)私は、人件費や事務費を含む行政コストを減らし、使える予算を増やし、それによる市民生活の向上という意味で、2市1町合併に賛成です。

 ところで、これを実現するためには、各市町の議会での議決が必要なはずです。その議員たちの立場が、まったく見えてきません。いたずらに、市民の意見を聴く振りをしているが、市民のために考え、賛成なのか反対なのかの態度さえ見えないというのはいかがなものでしょうか。

 私たちの意見は、議会で黙殺されればそれでおしまい。ならば、私は合併賛成派の議員、首長に投票したい。議員、首長よ。意見を隠してないで、自分の意見を表明してもらいたい。そして選挙に臨みなさい。それが民主主義ではないですか?!

(平成23年1月:40代男性:向日市)

 

(2)12月14日に届いた、乙訓地域分科会だよりに一言(同時に届いた広報長岡京も同じ)…デザイン優先なのか文字が小さい。老人社会はご承知のとおり、ルーペを出してまで読む気になれません。ポイントを上げてください。ページが増えてコストアップするでしょうが、せっかく作っても、読まずにゴミ箱へポイよりはいいではありませんか。

(平成22年12月:70歳以上男性:長岡京市)

 

(3)大山崎町は財政面や人口増加率のどちらを見ても規模の小さな自治体です。だから、乙訓2市1町で力を合わせてがんばってください。お願いします。本当に1日でも早く合併してください。お願いします。

(平成22年4月:20歳未満男性:大山崎町)

 

【平成23年度】

(1)乙訓地域3市町の合併についての私見

 「乙訓地域分科会だより」Vol.08 2頁の京都府の地図をみて、同地域の向日市、長岡京市、大山崎町のあまりに狭小であることに驚かされる。また、友人などをこの地域に案内するとき、長岡京の大極殿址が長岡京市に無く、向日市にあることに違和感を與える。

 この小さな市町のそれぞれに行政組織があり、それぞれに施策が行われていることの不合理さ、不経済さは誰しも感じることでありましょう。道路網整備、バス路線改善、観光行政などについて、この地域を一体化することの意義は非常に大きいと考えられる。

京都府下でも、多くの市町村が合併して、大きく纏まったが、合併の意義が最も大きいと思われる乙訓3市町が合併できなかったのは何故であろうか。

 3市町の現地名に対する愛着、合併により周辺地域となる地域の利便性低下、3地域に経済格差があることによる問題、市町会議員の思惑などが考えられるが、これらの問題について、次ぎのような対策を考えたら如何であろうか。

 合併後の新市名については、国内で数少ない旧都であることの意義を考えて、「長岡京市」を新市名にも採用する。このことによって、知名度がさらに向上するとともに、大極殿址があった向日市が、大極殿所在地である名誉を回復することができる。向日町、大山崎町という矢張り由緒ある名称は、然るべき地域に長岡京市向日町、長岡京市大山崎町として温存させる。

 3市町にまたがるバス網を整備し、バス運行間隔を合理化するとともに、向日市および大山崎町の役場は支所として合併後も残すほか、図書館、保健所などの公共施設も現状のままとすれば、合併による不便性は無くなる。現在、JR長岡京駅には快速急行列車が停車し、阪急「長岡天神駅」には特急列車が停車する。従って、この両駅から新市域に対するバス網を整備することの利便性の向上は歓迎されるべきことであろう。さらに、合併によって、JR長岡京駅に新快速列車を停車させることにも大きな力になることであろう。

 3市町の経済格差がどの程度のものかは知らないが、それほどのものではなかろうし、合併による経済効果を考えれば、メリットの方が大きいと思われる。

 合併により、新市会議員数は将来方向としては減員すべきことは言うまでも無いが、 当面、例えば10年間は現在の定員数を維持することにすれば、現議員の賛意も得られるのではなかろうか。

 以上、乙訓地域3市町の合併について私見を述べたが、これまでの経緯を知らないので、あるいは現実に合わないことも多々含まれていると危惧している。これらの点について御批判をいただき、問題点をよりクリアにして、衆知を集めることによって、乙訓3市町の合併が実現に向けて一層進展することを期待してやまない。

追記:近年、JR長岡京駅周辺の道路が整備され、駅前の面目が一新されたことを嬉しく思っている。今後とも長期的、合理的な構想のもとに3市町の枠を越えて、道路が整備されることを望んでいる。

 この場合、極力、長岡京時代の坊条名を残すようにし、例えば、現在の伏見柳谷高槻線は「アゼリア通り」と通称されているが、この道路はほぼ長岡京の五条通りと一致しているので、「五条通り」と改めたら如何でしょうか。この場合、八条の宮に因んだ「八条池」は紛らわしいので、「天神池」とい改称することも提案したい。

 現在、大幅な拡幅が行われているJR駅から長岡天神に至る道路は「六条通り」に、長岡天神前を縦貫する道路を「西三坊大路」と改めることも提案したい。

 道路整備は合併を待たずに、3市町が協力して後世に悔いを 残さないものにしていただきたいと願っている。

 中山修一記念館、長岡京市埋蔵文化財調査センターは市の中心部を離れた位置にあり、市民や観光客に十分に利用されていないように思える。阪急・長岡天神駅付近を整備することに併せて、その付近に両所を移転し、長岡天神への観光客が容易に訪れることができるようにしたら中山先生の顕彰に大いに役立つと思うが如何であろうか。場合によっては両所を合併して、「中山修一記念文化財センター」とすることも考えられる。

以上、乙訓地域3市町の合併ならびに道路整備などに関する私見を纏めたが、これらのことが早期に実現することを願ってやまない。

(平成23年12月:80代男性:長岡京市)

 

(2)リーダーは決断を先送りするな

前回意見書で合併問題が進まないのは行政にも、住民にも一半の責任があると述べた。しかし、行政トップや議員がこの町の行く末を読み取り、先ずは舵取りするのが先決です。議会には保身党が合併に後ろ向きで党派を超えて団結している。行政トップ、議員の怠慢は月給ドロボーと言われても致し方ないだろう。

噂によると東の町がプライドが高くて、合併に前向きでない、否、当町が断ったなどと言われているが、「乙訓地域分科会だより」に掲載されている「乙訓2市1町合併に関する過去の経過」によると昭和51年1月に行政側の組織として「乙訓合併研究協議会」、議会側の組織として「乙訓合併対策合同会議」が設置され、乙訓地域の町づくりについて協議。しかし、意見の相違などで協議は進展せず、昭和52年2月に「乙訓合併研究協議会」が、次いで昭和53年8月に「乙訓合併対策合同協議会」が各々解散となった経過がある。どこに意見の相違があったのか判らないが、僅か2年で解散。30年以上も前の話である。現在ある9年間の調査、研究、検討資料と比べくもない

京都南部地域行政改革推進会議乙訓地域分科会による「みんなで考えよう未来のまちづくり」が2002年に各市町広報に掲載され、2005年3月に合併特集号が、そして乙訓地域分科会だよりVol.1が2007年7月に発行され、現在Vol.8までが発行されている。この分科会だよりは人材センターにより各戸に配布されてきたが一体、何人の人が読んで、意見書を出してくれたのか。議論を深めていくための資料と云うが、今までに30通の意見書が、そしてこの1年で1通の意見書しか出ていないのでは、この分科会だよりが十分に機能(住民の無関心を喚起する)していないのではないか。この乙訓分科会だよりは2002年からすると、9年間の調査、検討資料である。合併問題を拙速に取り扱うのは良くないが、30年以上も前の経過に拘り、9年間の調査、研究、検討資料をそのままにして、市民の議論へと導かないのは、行政の怠慢、住民の意志をないがしろにしていると言われても致し方ないのではなかろうか。

その間、行政側で行ったことは2006年「乙訓地域のあり方を考えるシンポジウム」を開催、2007年「乙訓地域分科会事務局」を設置、ホームページを開設、事務事業現況調査の実施をしている。事務局は各市町が持ち回るそうである。年数回の会議には首長も出席しているそうだが、どんな会話をしてきたのか。小田原評定ばかりしているのだろうか。他国に乗っ取られることはないが、じり貧になり北海道夕張のようにならないように、リーダーは奮起してもらいたい。

2006年の「乙訓地域のあり方を考えるシンポジウム」は長岡京市中央公民館・市民ホールにて開催されたが、恐らく数百人の満員御礼であったと記憶している。私も聴講したが、同志社大学大学院教授新川 達郎先生による基調講演「これからのまちづくりと市町村」は多くの示唆に富んだ講演であった。基調講演20項、パネルディスカッション36項、アンケート9項をここで纏めるのは紙面が足りないので控え、次回に回すが、是非とも皆さんも分科会だよりホームページhttp://www.otokuni-cbk.jp/を参照されたし。過去30年の間に国内的にはバブル崩壊、地域分権化がそして少子高齢化、情報革命の進展、グローバル化など地殻変動が起きている時にいつまでも小田原評定をやっている暇などないだろう。大局的な見地から対立を乗り越えて、行政改革を断行するリーダーシップが求められている。市民も目先の事にとらわれず小異を残して大同につく度量が必要だ。

(平成23年12月:60代男性:大山崎町)

 

(3)前々町長の町政の時から、私は思っておりました。お話も町長にしました。そのままで前町長(真鍋)に変わり、「水問題」でもちきりになった4年間でした。「財政が悪い」「お金がないから出来ない」と何回も聞いて来ました。こちらがもう言わなくなって何年にもなります。町が寂れています。町民の方々も同じだと思います。

「乙訓は一つ」合併

 江下町長の公約、マニュフェストに「乙訓は一つ」と言って、当選されました。私も友人、知人にもようやく小さな光が見えると期待と希望を膨らませ尊い一票一票を入れた重みは、はかり知れません。また、心に刻み一年が過ぎ去っています。町民は、町政、役場、議員さんで進めてくれると心から思っています。期待もしています。小さな町で考えないで大きな市、まずは、長岡京市と一緒になって考えてください。きっと良い考えが浮かんでくるはずです。一歩一歩前に進んで、夢と希望の町、この町に住んで良かったと一生を終えることでしょう。子ども、孫の世代までが目を輝かしながら、「任せて」と言える町づくりをお願いしたい。旧町役場を見ただけで、この町は進んでいません。悲しいです。恥ずかしいです。どうか「乙訓は一つ」まずは、長岡京市との合併を宜しくお願いします。

(平成23年11月:60代女性:大山崎町)

 

(4)「合併」という言葉を聞いて幾久しい。もうその言葉も「水問題」で目くらましを食って、かき消されて死語に近くなっている。前町政で町の行政改革が停滞してしまったことは周知の通り。新町長は「乙訓は一つ」とマニフェストに表明しているのでもう一度「合併問題」について振り返り、なぜ合併が推進されないのかその原因を探って見たい。

 10年を経ても会議、検討、調査ばかりで、アンケート結果では「合併するべきである」が46.8%と「合併するべきでない」19.8%を大幅に凌駕しているにも拘らず、協議会を設置しない理由がどこにあるのか、頭の中を整理、整頓しなければ、モヤモヤがたまる。Everybody,somebody,anybody,nobodyの話をご存知ですか(訳:誰もが思った、誰かがやってくれると思った、誰でもできると思った、でも誰もやらなかった)。現在はそんな状態です。船が港に停泊して、エンジンを吹かしているが一向に前に進まない。皆さんがその船に乗り込んで、新しい未来に向かって出帆を待っている時に、10年も待たされている。そんな状態の時、皆さんどうしますか。このままだと、船はボロボロになって船長もろとも沈没するが、それでも良いのですか。

 平成13年8月に「京都府南部地域行政改革推進会議」が設置された。そしてその下に平成14年1月、乙訓分科会が設置され、平成15年3月合併特集広報誌「みんなで考えよう!未来のまちづくり~市町村合併について」が発行され、乙訓市民全戸に配布された。

 この時に「ご意見をお寄せください」とあるので、2市1町市民が意見書を出した。概ね、合併に肯定的であった。これで何かが始まると期待したが、その後10年なんの進展もない。その後、「乙訓地域分科会だより」が毎年発行されて現在Vol.7になっている。良く読んでみると、「京都南部地域行政改革推進会議」は合併を推進することを目標にしているのではなく、「2市1町の行財政のあり方や合併問題などについて検討し、住民の皆さまの議論が一層高まるよう、広報などを通じて情報提供などに取り組んでいる」となっています。役所でよく使う「検討」と云うのは「推進」を意味するのではないのです。行政が推進してくれるものだと思っていた。ここの所に住民の思い違いがあるようです。

 それではどのようにして「推進」するのか。二つあります。行政主導か住民発議です。

 2市1町の首長がその承認の基に、任意協議会を開き、議会の議決により法定協議会を開くことです(住民の署名活動は必要ありません)。しかし、乙訓地区ではこの4年間首町間の仲が悪かったので、前に進まなかったようです。もう一つは住民発議制度です。有効投票者数の1/50の署名を集め(大山崎町の場合約250名)、行政に直接請求して、議会で合併協議会設置を議決してもらうことです。「乙訓地域分科会だより」には合併を推進するための方便がどこにも書いてありません。これでは住民は合併を推進する術を知りません。インターネットでいくらでもこんな情報は溢れているが、行政頼りと与えられる情報に依存している住民に情報(お遊び情報は別にして)を取りに行く習慣がありません。それとも自分の事だけで市、町益のことに無関心なのか。乙訓地域分科会だよりに届けられた「意見書」は8年間で僅か30通(その内、大山崎町5通)です。寄せられた意見書の日時を入れるべきだ。時間軸のない管理は住民の発意を無視していることになる!

(平成23年10月:60代男性:大山崎町)

 

(5)乙訓地域は、乙訓区として、京都市に編入してもいいのでは。住所表示は、長岡京市の地域は「京都市乙訓区長岡〇〇町」、向日市の地域は、「京都市乙訓区向日〇〇町」大山崎町の地域は「京都市乙訓区大山崎〇〇町」とする。 その際は、自治を確保するために、区内の小学校区ごとに地域自治区を設置する。

(平成23年7月:20代男性)

 

【平成24年度】

(1)京都府内でも他では合併が進んでるのに、なぜ乙訓では進まないのか?大原野などの京都市に編入されてる地域は別にしても、同じ乙訓地域でまとまることが、効率化の上でもベターなのではないか。長岡、向日、大山崎といった地名を乙訓市の下に残す工夫をすればいい。

(平成25年1月:20代男性、その他)

 

(2)長岡京市と大山崎町の合併は、ここに投稿されている方にその意見が多いと感じたので、現実的だと思います。

(平成24年5月:20代男性、その他)

 

(3)ネーミングはどのような名前が多いのでしょうか。「乙訓市」ですかね。

一市一町でもよいのでは、大山崎町の人口と面積は小さすぎるでしょう。

人口あたりの議員数の適正な数を研究するべきですね。

財政のため少なすぎると、代表者である議員への少数意見がとおりにくく独裁になりやすいと影の部分も検討余地あると思います。

(平成24年5月:40代男性、大山崎町)

 

(4)「乙訓地域分科会」に3市町合併に関する私見をご紹介いただいたが、匿名であるためか、何も反応が得られなかったことを残念に思っている。

多くの方がご意見を述べられていて、ほとんどの方が合併を希望され、それが一向に進展しないことを嘆かれている。

 今後、投書者の氏名を記載すること、投書意見に対する「分科会」のご意見をつけていただくことを提案します。

 なお、メールをされてない方には広報誌が配布されているのでしょうか。

 以上に関し、分科会のご意見をメールでお聞かせ下されば幸いです。

(平成24 年4月:70歳以上男性:長岡京市)

 

【平成26年度】

(1)2市1町(向日市、長岡京市、大山崎町)の合併に向けた協議を加速させ、一つの自治体としてまとめられるように制度設計をお願い致します。

(平成26年4月:20代男性、その他)

 

【平成28年度】

(1)乙訓地域分科会だよりについて

ただいま11号以降配信が停止になっています。

休会したのかどうなっているのか、公式見解がありません。乙訓地域分科会事務局への公開質問状を下記に記述します。

「初夏の候 ますますご清栄のこととお喜び申し上げます。

平素は乙訓の行政に格別のご配慮を賜り、厚く御礼申し上げます。

さて、京都南部地域行政推進会議乙訓地域分科会が平成14年1月に結成されて14年になります。その間、2市1町の首長が委員になって市町村合併について「みんなで考えよう 未来のまちづくり」が議論、検討されて来ました。然し、平成26年、2市1町の首長が一斉に交代するやいなやvol.11を最後に、ホームページも中断されています。

振り返れば、乙訓合併論議の歴史は昭和47年10月に遡り、昭和53年に凍結、平成14年1月に再開と繰り返され、その後の12年間の歳月で、平成14年以来、毎年、乙訓市民各戸に約5万冊、合計約60万冊の「乙訓地域分科会だより」が配布されて来ました。

その間に調査研究・情報提供に関わった経費は如何ばかりかと推察致します。

乙訓市民15万人は「乙訓の未来のまちづくり」について、「乙訓地域分科会だより」の調査研究・情報に接し、その結果がどうなるのか、大変関心を持ち、注目してまいりました。ここで行政改革推進会議を解散するのであれば、今までの啓発活動は何のためだったのか、ウヤムヤに解散するのではなく、結果並びに今後の広域行財政の在り方を精査、総括して具体的成果を、乙訓市民に公表する説明責任があります。今や、2市1町がばらばらになって町おこしを行っていては近隣大都市に勝てる訳がありません。乙訓地域が一丸となって町の魅力を高めることが求められています。

つきましては、公務ご多忙のところ恐縮ですが、上記のことについて、事務局の公式見解を求めます」

(平成28年7月:70歳以上男性、大山崎町)

 

(上記意見に対する乙訓地域分科会幹事会回答)

ご意見ありがとうございます。

「乙訓地域分科会だより」につきましては、発行形態等の事務を見直しておりますが、事業の廃止・休止といったことではございません。

 現在、地方創生を始めとする地方分権の流れから、地方自治体の自主性と広域的課題に対応する圏域としての連携や協力がこれまで以上に求められております。こういった流れも受け、これまでの「合併に関する情報を中立的な立場から提供する」から一段抜け出し、今後の乙訓地域の有り方、連携や協力のあり方を検討し、国からの情報や検討も含めて一定お知らせできる段階になった際に、各市町の住民に適切な方法で伝えることが必要と考えております。

 なお、「乙訓地域分科会ホームページ」については、これまでと同様、維持・管理等を行っております。必要に応じて、その都度更新いたします。

 

【平成30年度】

(1)乙訓2市1町の合併に賛成です。

 現状では財政難の大山崎があるがゆえにどこも引き受けたくない感じはありますが、それはそれで仕方ないことだと思います。

 合併することにより、無駄な公務員や議員数の削減を図り、それによって少数精鋭化して効率の良い自治体運営を目指すべきです。

 そのためにはまずは大山崎から身を削る努力(議員定数12を5くらいにする)は必要だろうと思います。

 要は合併はショック療法だと思います。

(平成30年9月:40代男性、その他)

 

【令和元年度(平成31年度)】

(1)西京区を中心に、乙訓郡の町村は幾つかが京都市内に編入されています。今の乙訓市郡を形成する2市1町も京都市に合流する形で、現在既に京都市を構成する地域(西京区・南区・伏見区内の旧乙訓郡地域)も含めて再編するのが良いかと思います。

(平成31年4月:男性、その他)

 

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更新日:2019年10月02日