伊能忠敬がやってきた(令和3年5月25日掲載)

ホタルちゃん       今日、資料館に行って、観光案内の地図をもらったよ。

タカラちゃん   寺社や観光地に行くとき、地図があると便利だよね。

ホタルちゃん       でも、たまに縮尺が書いてなくて・・・

     思ったよりも遠かったことがあるよ。

タカラちゃん       そう、地図には、どのぐらいの割合で縮んでいるか、書いていない

         と距離がつかめないよね。

ホタルちゃん       でも昔の地図は、あまり実測なんかしてなかったでしょ。

タカラちゃん       そうしたなか、日本を歩き回って実測し、地図を作成した人物が

         いるよ。

ホタルちゃん       知ってる!伊能忠敬でしょ。

タカラちゃん       そう!伊能忠敬(1745~1818)は、江戸時代中期の地理学者で

                         あり、測量家だった人物だよね。もともとは上総国(今の千葉県の

                         一部)出身で、酒造りで財をなした商人なんだって。寛政6年

                         (1794)の隠居を機に通称を勘解由と改め、50歳から学者に弟子

         入りして猛勉強して、日本各地を巡って実測した地図を作成したん

         だ。最初は蝦夷地(北海道)、そして東日本、北陸、近畿、中国、

         四国と回ったんだ。

ホタルちゃん       じゃ、大山崎にも来ているかな?

タカラちゃん       もちろん。大山崎には文化6年(1809)と同11年の二度来ているよ。

ホタルちゃん       えっ、やっぱり来ているの!

タカラちゃん       ともに『伊能忠敬測量日記』という史料に残っているんだ。

          文化6年の時は第一次九州調査の行きに、文化11年の時は

         第二次九州調査の帰りに立ち寄っているよ。

ホタルちゃん       へぇー。             

タカラちゃん       文化6年(1809)の第一次九州調査の時は、九州へ向かう途中、淀

         から大山崎に入っているんだよ。忠敬たちは、離宮八幡宮に参詣

                        し、妙喜庵で茶室(待庵)を見学し、その後、宝積寺から天王山へ

         登り、山々を測量しているんだ。天王山を明智光秀の古戦場だと

         評しているね。午後2時頃に山を下りて、高槻屋という大山崎の

         宿屋に入った。高槻屋のことを「家作もよし」と評しているんだ

                        よ。

ホタルちゃん       西国街道沿いにあった高槻屋は、大名も宿泊した、当時大山崎で

         もっとも大きな宿屋だね。でも、半日で大山崎を回り、天王山でも

         測量していたんだ。パワフルだね。

タカラちゃん       その後、地元の津田、疋田、松田といった社家の方々と話し合いを

                         しているんだ。大山崎の10個の保(地元の町の組織、実際には11個

                         あった)の名前も日記に書いているよ。

ホタルちゃん       じゃ、けっこう地元の人たちとじっくりと話し合って調べていたん

                         だね。

タカラちゃん       当時、忠敬の調査は、測量だけでなく、村の情報も調べていたんだ

                         よ。

ホタルちゃん       じゃ、2回目は、どんな感じだったのかな?

タカラちゃん       2回目は文化11年だね。第二次九州調査を終えて、帰ってくるとき

                         に丹波、摂津を越えて、大山崎に立ち寄ったんだよ。今度は菱屋と

                         いう宿屋に泊まったと記してる。この夜には、大山崎の社家石上

                         氏、乙訓郡の沓掛、寺戸、古市村の庄屋も集まってきて話をしてる

         んだ。2回目の時は、円明寺村の庄屋小泉新兵衛の「御触書之写」

         (『小泉家文書』町指定文化財)にも記録が出ているんだ。

お触書の写し

「御触書之写」表紙 『小泉家文書』 当館所蔵

伊能忠敬の調査は、幕府公認の調査だから、前もって幕府からのお触れ

が回覧されている。だから、庄屋さんがお触れの中身を記録しているん

だ。これによれば、前もって、忠敬たちが通るルートを伝え、何日頃に

大山崎に到着するかも記しているよ。差し障りがないよう、各村も

隣村や街道沿いの村々に伝えているんだよ。

ホタルちゃん    調査するのに至れり尽くせりだね。だから忠敬の調査もスムーズに

        進んだんだ。こうした内容も、円明寺村の庄屋さんが幕府から

        送られてきたお触れを写し取っているからわかるんだね。

タカラちゃん    これによれば、忠敬たちも、各町や村に対して協力依頼をしてるよ。

        彼らは大体18名で手分けして調査している。泊まる宿屋に対して

        も、夜に星の実測をするので、南北に見渡しが効く10坪ほどの

        土地を借りたいと述べているんだ。

伊能

「夜分星測有之候ニ付、南北見晴之場所拾坪斗リ用意可有之候」とある。

         また、雨天で星が実測できなかった時は、1日延びることがあると

         念を押してるんだ。そして宿屋に対して賄い料は支払うが、食事に

         ついては、あり合わせの一汁一菜でよい、という内容が書かれてい

         るんだよ。

ホタルちゃん       すごい。夜も実測していたんだ。

タカラちゃん       夜の空の星の位置を正確に測って、測量地の緯度や経度を記録して

         いたんだ。こうしたものをひとつひとつ記録して、地図を書いてい

         ったんだ。文化6年に大山崎の高槻屋に泊まった時も、夜に星空を

         観測したことが記されているよ。

ホタルちゃん     忠敬の測量調査は、各村、宿屋の協力があったから可能だったんだ

         ね。

タカラちゃん       忠敬が通る村や町には、前もって協力を求める文書が回覧されたけ

         ど、文書が廻っていない村がないか、チェックしているよ。

         忠敬が通ったルート、日時などは、やはり、こうした御触書の写し

         が残っているからわかるんだ。

ホタルちゃん  測量した地図ができると便利だね。

タカラちゃん  だけど、忠敬が測量して作成された地図は、機密事項だったので、

        当時の人々の目に触れることはなかったんだ。ただ、日本にやって

        きた欧米人が、地図を手に入れ、絶賛したと言われている

        んだよ。実測した地図を、一般の人々が使えるようになるのは、も

        う少し待たなければならないけどね。

伊能3

「伊能勘解由 印」とある

更新日:2021年05月24日