百々遺跡(旧中央公民館跡)の発掘調査レポート(令和8年5月13日更新)
Vol.2 平安時代頃の多数の柱穴などを発見しました
建物や柵の跡と考えられる多数の柱穴 ※大きな穴は旧中央公民館の杭跡
中央公民館跡の調査地の西側を走る西国街道(山陽道)は、古代から人びとが行き交った古道です。
その古道に沿うように奈良~鎌倉時代の集落跡である「百々(どど)遺跡」が広がっています。
発掘調査を進めると、現在の地面の約3m下から平安時代頃と推定される300基を超える柱穴や、土師器・須恵器・陶器の破片などを発見しました。
多数の柱の穴は、この場所に何度も建物や柵などが建てられたことを物語っています。そのうち掘立柱建物1棟は東西約4m×南北約7.5mの規模に復元できそうです。
約千年埋もれていた緑釉陶器の破片
掘立柱建物の周辺からは平安時代前期のものと推定される緑色の釉が美しく残った陶器(緑釉陶器)などが出土しました。
Vol.1 複合化施設建設予定地(中央公民館跡地)の発掘調査をスタート
あらわれた石積(中央を縦に並んでいる)
※大きな穴は旧中央公民館の杭跡
調査地の前(西側)を走る西国街道(山陽道)は、古代から人びとが行き交い、百人一首に登場する紀貫之も通った古道です。その古道に沿うように奈良~鎌倉時代の集落跡である「百々(どど)遺跡」が広がっています。
発掘調査を始めてまず発見した遺構は、地形に沿うように20cm前後の石が並んで積まれた石積(左写真)です。
現在、調査している区域の南東部は湿地状の環境であったため、今回見つかった石積は護岸施設として機能したと考えられます。
なお、この石積が築かれた時期は江戸時代後半以降と推定されます。
石積(上面)
石積(断面)
「乙訓郡大山崎荘往還筋略絵図」(部分)
江戸時代(19世紀後半)の絵図(右)では、集落の並ぶ西国街道に久我畷がつながる地点(傍示木)より北(右側)の街道沿いに並木と田地が描かれています。
調査終了前には、現地説明会を開催する予定です。後日、本ホームページでご案内します。また9月頃には出土遺物(上記の緑釉陶器を含む)を歴史資料館で展示する予定です。
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更新日:2026年05月13日













