百々遺跡(旧中央公民館跡)の発掘調査レポート(令和8年7月1日更新)
百々遺跡発掘調査の現地説明会を開催します!
町教育委員会では、次のとおり現地説明会を実施しますので、ご案内します。
現地説明会では、担当者が発掘調査の成果をわかりやすく紹介するとともに、調査レポートにも掲載した出土品を展示する予定です。
大変暑い時季ですが、どなたでも申込不要でご参加いただけますので、ぜひ町の歴史文化に触れてください。
【日時】 令和8年7月17日(金) ※雨天中止(このページでお知らせします)
現地説明会1. 10時~11時 ※担当者が説明します
現地公開(自由見学) 11時~14時 ※係員が誘導します
現地説明会2. 14時~15時 ※担当者が説明します
【場所】 大山崎町字円明寺小字夏目26(旧中央公民館跡地(町役場庁舎の南隣接地))
※旧中央公民館裏口前(駐車場側)の受付にお越しください
【その他】なるべく平底の靴でお越しください。(※遺構を傷つけないため)
熱中症対策をお願いします。
駐車場・駐輪場には限りがありますので、町営バスの利用をお考えくださ い。また、近隣の方はなるべく徒歩でお越しください。
Vol.3 石鏃(せきぞく;石製のやじり)がみつかりました

隅丸方形の柱穴が多数出てきています
※中央の大きな穴は旧中央公民館の杭跡
西国街道(山陽道)は、古代から人びとが行き交った古道です。その古道に沿うように奈良~鎌倉時代の集落跡である「百々(どど)遺跡」が広がっています。
3月から開始した中央公民館跡地の南側の調査は5月下旬で終えて埋め戻し、6月からは北側の発掘調査に着手しました。
北側でも南側の調査時と同じように平安時代頃と推定される柱の穴が次々に見つかっています。南側に比べると大きな隅の丸い方形の柱穴が多数出てきており、いくつかの掘立柱建物跡に復元できそうです。

石鏃(やじり)
北側の発掘調査中、みんなが「あっ」と驚いた石鏃が1点出土しました。縄文時代~弥生時代に狩りなどに用いた矢の先に付けられた石製のやじりです。おそらく後世に周辺から流れ込んできたものと考えられますが、何千年も前からこの地で人びとが暮らしていたことを物語っています。
Vol.2 平安時代頃の多数の柱穴などを発見しました
建物や柵の跡と考えられる多数の柱穴 ※大きな穴は旧中央公民館の杭跡
中央公民館跡の調査地の西側を走る西国街道(山陽道)は、古代から人びとが行き交った古道です。
その古道に沿うように奈良~鎌倉時代の集落跡である「百々(どど)遺跡」が広がっています。
発掘調査を進めると、現在の地面の約3m下から平安時代頃と推定される300基を超える柱穴や、土師器・須恵器・陶器の破片などを発見しました。
多数の柱の穴は、この場所に何度も建物や柵などが建てられたことを物語っています。そのうち掘立柱建物1棟は東西約4m×南北約7.5mの規模に復元できそうです。

約千年埋もれていた緑釉陶器の破片
掘立柱建物の周辺からは平安時代前期のものと推定される緑色の釉が美しく残った陶器(緑釉陶器)などが出土しました。
Vol.1 複合化施設建設予定地(中央公民館跡地)の発掘調査をスタート

あらわれた石積(中央を縦に並んでいる)
※大きな穴は旧中央公民館の杭跡
調査地の前(西側)を走る西国街道(山陽道)は、古代から人びとが行き交い、百人一首に登場する紀貫之も通った古道です。その古道に沿うように奈良~鎌倉時代の集落跡である「百々(どど)遺跡」が広がっています。
発掘調査を始めてまず発見した遺構は、地形に沿うように20cm前後の石が並んで積まれた石積(左写真)です。
現在、調査している区域の南東部は湿地状の環境であったため、今回見つかった石積は護岸施設として機能したと考えられます。
なお、この石積が築かれた時期は江戸時代後半以降と推定されます。
石積(上面)

石積(断面)

「乙訓郡大山崎荘往還筋略絵図」(部分)
江戸時代(19世紀後半)の絵図(右)では、集落の並ぶ西国街道に久我畷がつながる地点(傍示木)より北(右側)の街道沿いに並木と田地が描かれています。
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京都府乙訓郡大山崎町字円明寺小字夏目3番地
電話番号:(075)956-2101(代表) ファックス:(075)956-0131
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更新日:2026年07月01日













